世界的に減少しているトド、アザラシ、海鳥たち
野生生物に迫った 食料危機!
人がニシンを絶滅に追い込み、トドたちの食料を奪った
海獣・海鳥たちは食糧難の被害者!
1. 日本のニシン (鰊) 漁 最盛期(乱獲)から絶滅 |
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天売島の歴史
表は天売島の歴史の中で、海鳥(ウミガラス、ウミネコ)の著しい減少と漁業の関係の表。
年 号
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歴 史
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ウミガラス
生息数 |
ウミネコ
生息数 |
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西 暦
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和 暦
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紀元前
5000頃 |
縄文時代前期
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天売島に人が住み始める。 | |||
900-1200頃
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縄文文化(最後の土器文化)がこの島に及ぶ。 | |||
1667
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寛文 7
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「松前蝦夷図」に初めて「テウリエゾ」の名が現れる。 | |||
1786
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天明 6
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島で漁場経営とアイヌ民族との交易を請け負う。 島民アイヌ人12人。主な産物はニシン、アワビ、ナマコ、タラ、昆布など。 |
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1792
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寛政 4
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ニシン漁のために出稼ぎに来ていたアイヌ人23人が遭難。 | |||
1807
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文化 4
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西蝦夷地、幕府領となる。 この頃、天売とは無人島となり、焼尻、苫前、手塩のアイヌの出稼ぎ地となる。 |
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1857
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安政 5
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初めて和人漁民の出稼ぎが許可され、 秋田・津軽の漁民3人(雇漁夫39人)がニシン漁を始める。 |
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1869
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明治 2
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明治政府開拓使を設置し、蝦夷地を北海道と改め、国郡を設定。 天売島は手塩国苫前郡に属す。 |
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1871
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明治 4
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この年の出稼ぎ漁民、男鹿(秋田)7人、松前1人(雇漁夫11人)。定住者なし。 | |||
1875
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明治 8
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津軽の人 熊本兵作移住 楢原漁場の管理人として家族と共に初めて越冬。 | |||
1880
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明治13
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焼尻外-戸村長役場の管轄区域となる。12戸、234人。 | |||
1883
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明治16
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曹洞宗説教所創建され、寺子屋式教育が始まる。 | |||
1902
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明治35
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天売・焼尻のニシン漁船70隻が天売港で暴風のため転覆、死者228人。 | |||
1903
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明治36
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天売水産組合設立。 | |||
1904
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明治37
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ニシン建網(定置網)50統、同刺し網7,766放、 漁獲高15,000石(一石=生ニシン750kg)、入稼漁夫2,500人。 |
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1906
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明治39
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2級町村制施行で天売村役場と改称。 415戸・1,876人(島史上最高記録)、ニシン漁不漁期に入り、島民の生活困窮。 |
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1908
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明治41
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タラ釣り漁船34隻遭難、死者230人。 | |||
1920
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大正 9
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ニシン大漁、約30,000石 (最高記録)(一石=750kg)。 | |||
1933
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昭和 8
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苫前・焼尻・天売を結ぶ航路開かれる。 | |||
1938
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昭和13
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海鳥繁殖地が国の天然記念物として指定。 ウミガラス40,000羽。 |
40,000羽
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1948
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昭和23
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海鳥糞採掘問題発生。 | |||
1950
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昭和25
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発電所設置。
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1954
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昭和29
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灯台新設。天売高校新設。 | |||
1955
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昭和30
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羽幌町と合併、大字天売と改称。 | |||
1956
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昭和31
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ニシン凶漁、以後ニシン漁業消滅。 ウミガラス激減。 | |||
1963
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昭和38
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鳥類研究者 黒田長久、天売島海鳥調査実施。 ウミガラス8,000羽。 |
8,000羽
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1960年代から70年代にかけて島周辺で盛んに行われた[サケ・マス流し網]漁業による混獲で、おびただしい数のウミガラスが犠牲になった。 | |||||
1964
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昭和39
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天売・焼尻道立自然公園指定。 | |||
1972
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昭和47
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環境庁、天売島のウミガラス1,117羽と報告。焼尻天売への観光客約5万。 |
1,117羽
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1980
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昭和55
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ウミガラス 553羽。 |
553羽
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1980年代から[カレイ・タラの刺し網] がトドに食いちぎられる被害にあう。 | |||||
1982
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昭和57
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天売島、国設鳥獣保護区に指定。 | |||
1986
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昭和61
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ウミネコ60,000羽。 |
60,000羽
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1989
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平成元年
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フェリー「おろろん」就航。 | |||
1990
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平成 2
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暑寒別天売焼尻国定公園指定。屏風岩にウミガラスのデコイ設置。 | |||
1991
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平成 3
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羽幌町が常駐の海鳥調査員を配置。 | |||
1997
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平成 9
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羽幌に北海道海鳥センター設置。 | |||
2000
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平成12
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ウミネコが半減し、30,000羽に。 |
30,000羽
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2001
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平成13
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コオナゴ、ホッケ不漁。 ウミガラス21羽。 |
21羽
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2002
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平成14
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ウミガラス13羽で絶滅の危機。 |
13羽
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2004
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平成16
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ウミガラス20羽飛来し、観察史上初、繁殖数0羽となった。 |
繁殖数0羽
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2005
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平成17
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ウミガラスの繁殖は2年連続ゼロ、ウミネコの繁殖も絶滅となった。 |
繁殖数0羽
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繁殖数0羽
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表からもわかるように、海鳥や他の生物が豊かなときは、豊漁だった。
しかし、魚もすめない場所では、海鳥も海獣も人も生活できない。
野生生物と共生・共栄できるように、いま人間活動・漁法の改善を真剣に考えなければ、
今日、野生生物に起きた悲劇は、明日は人に降りかかってくることになる。
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